なれない場合がある

「何がしたい」と、「何が出来る」では、なりたい自分になれる場合と、なれない場合がある。
仕事を選ぶ場合、かなり重要である。
したいことと、出来ることのギャップがあると、能力に問題があり、その仕事が出来ない。
優しい言い方をすると「向いていない」展板
(周りの状況で、能力はあるのに出来ない場合もある)


好きか、嫌いか、というのも重要だ。
いくら出来ても、嫌いな仕事で人生を過ごすのは悲しい。
だが、生活のために割り切る、という方法もある。


「好きこそものの上手なれ」
「ヘタの横好き」
真逆の例え。
諸説あるということだ。
しかし、「好き」は結構だが、「嫌い」は厄介だ。


お金を稼ぐのは、大変だ。
収入や拘束時間にとらわれなければ、選択肢はある移民加拿大條件
楽して稼ごうという発想は、甘いと思う。
宝くじでも、なかなか当たらない。
買わなければ当たらないからと、買い続ける人もいる。


まとまったお金があれば、嫌な仕事をしなくてもいい。
のではあるが、、、
「幸せ」や「喜び」は、得ることを目的、目標にするのではなく、全く別の何かをしていて、その過程で偶然、得ることがある。
幸せを得よう、得ようと、がむしゃらになっている時は、幸せは案外、遠くにある。


ああ今日も仕事か、あの嫌な人の顔をまた見なければいけない、あーあ、、、
と鬱陶しさ満載でいたら、意図しない、あるふとした瞬間に、何かが開けるキッカケに触れることがある。
そのキッカケに出逢うのは、長い長い歳月がかかる場合もあるし、意外に、すぐだったりもする。
誰もわからない。予想できない。
一つの方向からだけを攻めるのではなく、上手くいかない時は、手を止めて、別の方向を見るか、あるいは、ちょっと引き下がって、もう一度、戻ってやってみる。
方法は一つだけではない。
回り道をすることもある。
一生、ぐるぐる回っていたとしても、退屈はしないbirmingham 樓價
諦めかけた時に幸運はやってくる。
諦めてしまうと、生きる輝きを失う。
原動力がなくなる。
なので、少し休憩してから、また初めからやり直すのも悪くない。


具体性に欠ける中身で、面白くもなんともない話になってしまった。


そんな思いはとっくに卒業した人にとっては、つまらない、どうでもよい内容になった。

その道を選んでいるな

長女が孫の進路について、一言、ぽろっと言った。
自分の道が自分で気に入るような、そんな道に進んで欲しい、と。
深い、、、。
わたしは早々に大枠を作り、保険をかけてミニ盆栽にしたかも?
だが、成人後は、各自のコース。


未来ある子供たちはさておき、
さて、わたし。
能力が劣っていても、別に構わない。
今更、何をする?
別に何をするわけでもない。
人によっては生き甲斐がなく、つまらないと思うだろう。
わたしはへんに使命感を持たされると、どっと疲れる。
何もしなくても、本人が良いなら、本人があえてその道を選んでいるなら、それでよし。
過去の思い出と、未来につながる毎日があれば、それでよい。 
つつがなく。何も起こらない幸せ。
わたしにとっては、それが幸せなのだ。
人が退屈するような状態が、わたしの幸せ。
この予定のない自由時間こそ、黄金の時間。
細いピアノ線のような、目には見えないけれど、しっかりした線、それが通っていると自分が感じられたら、それでいい。
他人にわかってもらわなくてもよい。
自分なりに内面にはスタンスがある。


幼い頃のわたし。
お花畑に一人座らせていると大人しくニコニコしていた、という(母から聞いた)エピソードが大好きだ。
わたし自身は記憶にないのだが。
だけど、精神状態がそんなかんじ。
いつも安定して和んでいる。
とは言え、ブチキレて、ちゃぶ台返しもする。(今月の話)
しかし最近のちゃぶ台は、大きくて重い。
せいぜい、角度や向きをよっこらしょと変える程度。


さてさて裕さん。
磯がCのが目に浮かぶ。
自動車一台分の出費だそうだけど、間違いなく良い時間になると確信している。
次に帰国される頃は、晩年?
いや、もう少し前?
その頃には、日本のまだ未知の地をぜひゆっくり回っていただきたい。

シカランことはないと

肝に銘じたこと。
それは通勤時間帯に電車に乗らないこと。
わたしは既にリタイアしている高齢者だから、そういう要望を持ってもケシカランことはないと思う。
時間帯をずらすと良い。
これはベビー連れのママたちにも言える。
通勤の皆さんの神経のブレ方、ストレスは相当なものだと想像する脫毛 機
なので、その波の中、渦の中に、自分の身を置かないのが防衛策。


朝夕を避けるなら、スケジュールを2日に分けなければならない。
1日で済まそうとするから、朝と夕方に移動時間が押しやられる。
朝ではなく午前遅めに出て、夕方前に帰る。
一つしか用事は出来ないが、まあ仕方ない。
ただし、日中は暑い。
全て良いようにはならない。


心身の事情にスケジュールを合わせることにする。
スケジュールに心身は合わせない脫毛價錢
無理はしない。
高齢者の特権である。


あれもこれも、ついでに一気にするのが、めんどくさがりのわたし流なのだが、言ってられない。
めんどくさくても、行動を分割する。
身体を優先する。
行動を身体に合わせると、こころも落ち着く。
無理がきかないなら、無理をしない。
それでよい。
若くないって、若さのノリで突っ走らない(突っ走れない)から、自由に自分で行動を設定できていいなあ。


自分が快適な状況を自分で作る。
電車に乗って、周りが学生さんや若い人ばかりに囲まれて小さくなったり、街ゆく人々の中でどうも自分の居場所はここではないと感じたりすると、自分が落ち着く場所を新たに探す。
やはり同世代が集まる場所のほうが安らげる。
と言っても病院の待合室ではない。


人に合わせるのは疲れる。
自分だけの快適の中に自分を置く脫毛 邊間好
他人に理解されなくてもよい。


自分が感じる「快適」も、時の移ろいによって変化する。
快適と感じる感覚に身を委ねると、幸福感に浸れる。
これは人それぞれ違うと思う。
「快適」に巡り合えると、すごく楽しい。


それと同様に「感動」というものがある。
最近、よく感動する。
すぐに涙腺がゆるむ、安物の涙。
でも、涙は癒し効果があるらしいから、良いのだ。