ポロ流れているのを見

小さい頃からわたしはあまり涙を流して泣いたことがない。
その反動か、今は、何か思い出すだけでも、何かを考えるだけでも、目の奥がじーんとして、数秒後に涙が溢れる。
涙の大安売り。
が、涙は目にもいいし、癒されるらしいmyob 課程


その時に頭に浮かぶのは、悲しいことや辛いことなどではない。
こころの機微に触れ、感動したこと。
他人のことでも自分のことのように感じ、共鳴する。


例えば、TVドキュメントで、小学生6年生の男の子が、もうすぐ閉校になる学校の、最後の学芸会のために一生懸命練習する。
なかなかうまくいかないが頑張るその姿、そして辛くても習得して演技を成し遂げた。
その同日、後で、皆んなで校歌を合唱する時に、彼の目から涙がポロポロ流れているのを見ると、わたしも同時に感涙。
今、書きながら思い出すだけでも、また涙。
これは、わたしは、アレルギー性鼻炎か、花粉症と認知症の合併症か中學派位
鼻水も出るあたり、やはり、耳鼻咽喉科系の病気か?
でも、感動する。
純粋な涙に。
やったね。頑張ったね。


今までのわたしには、そういう頑張りも悔しさもなかった。
あったのかも知れないが、自覚していなかった。
渦中にあると感じていては進めないからか。
だがしかし、出血したり痛みを自覚するからこそ、身体が発する危険信号から重篤化することを未然に防ぐ。
わたしは、鈍感なので直視することも治療することもなく、ひたすら走っていたのだろうと思う。
この歳になってはじめて、自分を振り返り、人の気持ちも理解できるようになった。
じつに遅い、、、。
理解といっても、ほんの狭い浅いもの。
自分にとって、自分が損したり傷ついたりしない程度のことを無意識にチョイスしていると想像する。
菩薩にはなれない。


傷を自覚しないまま、今日に至る加拿大留學
これ、凄くない?
外から見ればどこが傷なんだ?甘いことを言って、と非難されそうだが。


今まで順調に来すぎたらしい。
そんなこと、他人に言われる筋合いはない。
肉親や家族ならいざ知らず。
でも、納得する部分はある。
そんな自分を変えたいと思った日から、変革スタート。
今日が人生で1番歳を取っている。
と同時に、未来の中で1番若い。