き流れるように生きて

とまあ、女子大と短大と四年制大学あたりの時代をふらふら何の意思も持たずに浮き流れるように生きてきたわたし。
じつは、幼稚園児の時から将来の希望は「お嫁さん」だったのだ。
しかも、競争に負け落ちる自分をすでに5歳で予想していた助聽器推薦
ある意味、鋭い5歳である。
まさに、結婚こそが自分の人生のゴールであり全てであるかのごとく。
やがて時は進み、「王子様と結婚したシンデレラは、幸せになりました」とそこで終わるストーリーを皮肉たっぷりにニヤニヤして読んでいる時代もあった。
当然ながら、そこからがスタートである。
(今は、般若心経を唱えながら、シンデレラストーリーを読み流している)



結婚以外に自分のアイデンティティを見出し、結婚は自分のアイテムのひとつであるのもよし。
アイテムから外すのもよし肌底槍
結婚は、全てではない。
5歳のわたしは、結婚から外れた自分を想定していなかったから、選択肢は少なかった。
しかし、無いわけではなかった。
自らの意思で、泥船から沈没船に乗り移っただけである。
泥船はどうしようもないが、沈没船は泥船よりはマシ。
起死回生を掛けて、苦心、工夫して沈没から逃れることも出来るだろう。


自分の人生は、自分でどうにかしなければならない。
(究極の死活問題でもない限り)、人に頼ったり、人のせいにしたり出来ない。
仮に最悪だったとすると、それは運命、宿命みたいなものだから、抗おうとしないほうがいい。
もがくと、益々、悪い方向に進む。
(こころの病気になり悪化する人もいる)
じっとして時を待つ。
明けない夜はないが、地球の位置によっては明けない夜ばかりの地域もある?
それはそれ。
引っ越しするなり、その地で生涯を終えるなり、なんらかの動きがあるだろう。
動かないという動きはない。
自分は動かなくても、周りは動いている。
動かないまま、時間は動いている助聽器比較
じっと止まったまま時間は経過しているので、時が止まったままということはない。
たんなる比喩表現である。


「朽ち果てる」という時の進み方もある。
どこかの国の超お偉いさんのように、死後も永遠にプリザーブド?フラワーのごとくまるで生きているかのような姿のまま、国民や訪れる人に姿を見せることもある。
銅像より、よりリアル。
昆虫採集の見本のようでもあるが、いくつもの虫をピンで留めているモノとは、扱いが全く違う。当たり前。


生きモノとしてではなく、語り継がれる、という伝達方法もある。
これは、後に書き変えられることもあるし、時代によって受け取り方や解釈が違うこともある。


何しろ、本人は止まったままでそこでジ?エンドでも、時代は動く。
朽ち果てようが、永遠に語り継がれようが、本人としては終わっても、周りは動く。
うーん、、、脱線ばかりして戻って来れない、、、で、わたしが何が言いたいのか、、、と考えてみる。
広義の意味で無常であるということ。